あの日の落書きを続けよう。

母が巨大化したんですけど、元気です【ギャグ小説】

 

第一章 ビッグ・ママ

母が巨大化したのは昨晩、住宅街が深海魚みたいに静まり返った午前2時半ころのことだ。

聞いたことのない大きな破裂音を耳にして、最初に想起した言葉は「勃発」だった。国家、もしくは宇宙規模の何かが勃発したとしか思えない音が轟いたからだ。

「このレベルの音量を『轟音』と呼ぶに違いない!」と本能が告げていた。

結果的に国家的事変の勃発でなく、個人の巨大化だったことは安堵すべきかもしれない。たとえばあの音が宇宙戦争の開戦を告げるものだったら、今ごろ私は捕虜になっていただろう。

そしてきっと先方の宇宙人におしっこの排泄という概念がないために、トイレの無い宇宙船内で「おしっこがしたい」という要望が伝わらず、初めての惑星間飛行を膀胱炎の懸念と同時に経験する羽目になっていたはずだ。

乙女心の化身と自負する17歳女子高生にとって、惑星間移動中トイレにいけないことは死活問題である。

そのような悲劇に比べれば、母の巨大化は不幸とはいえないだろう。少なくとも膀胱は無事だ。

とはいえ私が芳しくない状況下に置かれていることも確かだ。

轟音を聞き、とっさにベッドから飛び起きてドアを開けると、そこに見慣れた廊下はなかった。代わりに見慣れない特大臀部が視界をジャックする。

巨大化する前からXLサイズだった母のお尻は、軽自動車(660cc)くらいの大きさに肥大化していた。廊下や階段やリビングといった家の構成要素たちは、巨大化時のオートヒップアタックによって破壊され原型を留めていない。

臀部から腰、背中へと視線を走らせる。終点の天頂部は天井を突き破り、屋根を乗せた状態で月明かりに照らされていた。

デカい。デカいけれど目の前にそびえ立っているのはまさしく母の背中であった。一部の壁が崩れ、天井は無くなり、家財は木っ端微塵。しかしそんなことよりも、母の身が無事であったことに心底ホッとしている私がいた。このときほど親子の絆を感じたことはない。

「お、お母さん……?」

思わず口をついたか細いセリフが、弛みきった巨大臀部の肉壁に吸い込まれる。

衣服は破れてしまっているので、眼前に立っているのは「屋根を帽子のようにかぶる全裸の超巨大中年女性」である。幸いなことに首から下は壁によって遮られているので、両乳房や花園は外部から見えないはずだ。

「お母さん!」

今度は巨大臀部の肉壁を貫かんばかりの声量で叫ぶ。

「沙希…?、沙希なの?」

聞き慣れた声が頭上から降り注ぐ。

「ど、どうしちゃったのよ、一体!?」

ふたこと目はこのセリフ以外に考えられなかった。

「見ればわかるでしょ巨大化よ!巨大化!」

巨大母はいつも私に愚痴をこぼすときの口調で、巨大化を嘆いた。

「うん、巨大化したことは分かるけど…。えーと、何から聞いていこうかな…。気分はどう?」

英語でいうところの「How Are You?」である。

「気分?良いわけないでしょうが!パジャマは破れちゃったし、家は壊れちゃったし。ネットフリックスでドラゴンボール観るのが楽しみなのに、テレビも割れちゃったのよ!」

そういえばこのところいつも、ギニュー特選隊がどうこう、という話をしていたことを思い出す。

「テレビ壊れたのか。新しいテレビ買わなきゃね。でも大きいテレビも今のお母さんにはスマホサイズだね。」

「あんた、よくそんな冗談いってる余裕あるわね!人ごとだと思って!」

「人ごとじゃないわよ。私だってテラスハウスとかクレイジージャーニーとか観たい番組観れなくなっちゃったんだよ!テレビ壊れたんだから!」

「このシチュエーションでテレビの心配なんかするの!?あんたどうかしてるわよ、そりゃ初めての彼氏にもフラれるわけよ。デリカシーがないのよ、デリカシーが。」

「カレシの話は関係ないじゃん!お母さんこそ、おっきくなってまで小言をいうわけ!?そのサイズで言う小言はもはや『小言』じゃないのよ!信じらんない!」

「あんたが自分勝手なことばかり言ってるからでしょ!小娘が!いろんな意味で小娘が!」

物理的に小娘と呼ばれても仕様のないサイズ差があることは否めないが、精神的な方の小娘扱いは許しがたい。

「なにそれ!中肉中背から大肉大背になったからって、上から目線にならないでよね!」

「あんたなんか見下してやるわよ!お尻の下にいないで表に出て正面に回ってみなさいよ、見下してやるから!」

「見下すのも一苦労ですね、ビッグ・ママさん!」

「うるさい!私だって巨大化したくてしたわけじゃないのよ!パジャマもブラもショーツも破れちゃって最悪!今1月よ!?寒い!!!」

「もっと伸びる生地の服を着て寝てたらよかったのに」

「このレベルの巨大化に耐えられるのは、サイヤ人の戦闘服くらいよ!」

母はドラゴンボールの熱烈なファンでよく例えに用いる。なかでもベジータというキャラクターを心底愛していた。私は世代じゃないのでギニュー特選隊もべジータもよく知らない。

「なにそれ。サイヤ人て巨大化するの?じゃあお母さんもサイヤ人なんじゃないの?」

「あのね、サイヤ人が巨大化するには1700万ゼノ以上のブルーツ波が必要なの!今宵の月で巨大化は無理でしょうが!」

「いや、わけわかんない。」

「料理中に『はじけてまざれ!』って叫ぶことはあるけども、それでパワーボールができるとも思えぬ。」

「わけわからんって。とりあえずお母さん、言い争ってる場合じゃないと思うの、私たち。」

「…それもそうね。」

たちどころに落ち着いた口調になった母は、巨尻をぼりぼりと掻いた。これは母がリラックス効果を得たいときに行うクセである。

「整理して考えよう。これからすべきことを。」

「わかったわ。」

「まず確認なんだけど、お母さん元の大きさに戻りたいよね?」

「…そうね、このままじゃ体重計に乗るのが怖いもの。」

語気が真剣だったので、つっこまないことにした。

「それじゃあ、元に戻す方法を探してみるよ。」

「どうやって?」

「うーん、どうにか…する。とりあえず明日、病院に行って対処法を聞いてこようかな。」

病院に行って何かが変わるとは思えなかったが、考えつく手段はそれくらいしかない。

「学校は?」

「え、休むよ。」

「何行ってるの!あんたこの前もサボったでしょ!学校は行かなきゃ許しません!」

「はぁぁっ!?こんなときに学校って、バカじゃないの!?」

「こんなときだからでしょ!お母さんが巨大化したことを口実に学校サボって、出席日数が足りず退学なんてことになったらご近所様になんて言えばいいのよ!そんな肩身が狭い思いはごめんよ!」

「お母さんの肩幅は今世界トップクラスに広いと思うけど。」

「比喩よ!とにかく、学校は絶対に行きなさい!でないと担任の若狭先生に連絡するからね!」

「連絡ってどうやって?あ、電話貸そうか?」

にやりと笑う。

「またバカにして!電話が無理なら、直接高校に乗り込むわ!」

高校に乗り込む巨大母を想像してみる。おぞましい光景が脳内スクリーンに映しだされた。

「わーー!それはダメ!絶対ダメ!それは待って!全裸の巨大なおばさんが街を闊歩したらどうなると思う?最低でも自衛隊、最悪の場合『アメリカ軍vsお母さん』なんてことになるわよ!」

「母vs空母、みたいな?」

「とにかくゼッッタイに来ないで!解決法が分かるまでここでジッとしていて!」

「じゃあ約束は守りなさい。学校に行くこと。それから髪を黒く染め直しなさい。あと帰りに肉まん買ってきて。」

「分かった分かった!」

「それから、お父さんにも一応LINEしておいて。お母さんが巨大化したこと。」

「ああ、お父さんのこと忘れてた。」

第二章 メランコリック・バスストップ

不規則に揺れるバスの車内で、眠気まなこをこすりながら単身赴任中の父親にLINEでメッセージを送った。

「お母さんが巨大化しちゃった。(これガチね)」

父親からは熊のキャラクターが驚いているスタンプが返ってきた。まあこんなものかと私は諦め色のため息を吐く。

夫婦仲が冷めきっていることには随分前から気づいていたが、妻が巨大化してもスタンプひとつで片付けられてしまうくらいには凍てついていたようだ。

心の中でやるせなさや虚しさといった憂鬱な感情が塒を巻いていくのが分かる。蛇は乾いたところを好むのだ。

高校最寄りのバス停まではまだ幾分時間がある。なんとなしにブラウザを開き検索バーに「母 巨大化 対処法」と記入してみる。ネット上に解決法があるとは思えなかったが、最上位に出てきたページをタップした。


母が巨大化したときにやるべき5つのこと

「朝起きたら母親が巨大化していた」

「昼まで寝てたけど起きたら母が巨大化していた」

「夜勤なので起きるのは夕方。母は巨大化。」

など、お母さんが巨大化してしまい困ってはいませんか?急なことでパニックになるお気持ちは分かりますが、焦らずにひとつずつ対処することが大切です。

当ページでは、母が巨大化したときに役立つ5つのtipsをまとめています。

1.家の修理の見積をとる

母の巨大化でもっとも痛手となるのは、家のなかで巨大化した場合の家屋倒壊や破損です。

天井や壁が壊れてしまったり、家財道具や家電が使えなくなってしまったりと、信じたくない現実を目の当たりにすることもあります。

まずはリフォーム業者や建築業者に事情を説明し、修理費用の見積をとってもらいましょう。

このとき、保険の適用内であるか、適用できる場合はどこまでが範囲となるのかを確認しましょう。また、相見積もりをとることで費用を最小限に抑えられます。

賃貸の場合、敷金は絶対に帰ってこないものと覚悟しましょう。

2.行政機関への届出

母が巨大化してしまった場合、念のため行政機関への届出をしておくのが懸命です。

原則、2等身以内の親族であれば代理で届出が出せますので、最寄りの市町村役場で手続きを行いましょう。また、運転免許センターにも届出を出しておきましょう。

3.残った家族で家事を分担する

仕事や家事の在り方も変容しつつある現代ではありますが、まだ多くの家庭でお母さんが家事をこなしているのではないでしょうか。そういったご家庭ではお母さん巨大化による強制離脱は混乱を招きます。

落ち着いてお母さんが担当していた家事の振り分け、分担を行いましょう。思い切って食洗機やルンバなどの導入してみるのもおすすめです🎵

4.親孝行のビジョンを練り直す

お母さんが巨大化した以上、これまでに考えていた親孝行はできないものと考えましょう。温泉旅行のプレゼントなどはもってのほかです。

相手が巨大あってもできる親孝行にはどんなものがあるか、じっくりと考えて練り直しましょう。

ひとつ、巨大化しても喜んでもらえる親孝行があります。「孫の顔を見せること」です。可愛い孫は目の中に入れても痛くないというのは本当か、リアルに試せるかもしれませんね。

5.エージェントに登録する

わからないことの多い母の巨大化。だからこそプロに任せるのが安心です。

「ビグナビ」では母が大きくなった方達を対象にさまざまな手厚いサポートを行っています。以下のリンクからまずは無料査定をしてみましょう。

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「なんだ、そういうことか。」心のなかで呆れながらつぶやく。

結局このサイトは「ビグナビ」が運営するオウンドメディアで、有料のエージェントサービスへの登録を促すページであった。

ビグナビのリンクも開いてみたが、無料会員とプレミアム会員の比較(身長で料金が異なる)や「ビグナビ3つの安心ポイント」が流行りのデザインで説明されているものの、巨大化した人物を元に戻す方法についてはまったく触れられていない。

もしかしたら母はずっと巨大なままかもしれない。そうなったら母の肉じゃがはもう食べられないのかな。

憂鬱を乗せたバスが停車する。「きさらぎ高校前」とアナウンスが告げていた。

第三章 どしケラトプス

「さきちゃん、おはぽよ!今日もぎゃんかわだね」

ぎゃんかわ
かわいいを強調する若人ことば

「わお、まゆ。おはよー」

まゆは高校でできた一番の友達だ。すこし天然が入っている。

「なんか様子がドチャクソ変だけど大丈夫?よき?のき?マツエク?」

ドチャクソ
めちゃくちゃ→とても
よき?
いいの?
のき?
悪いの?
マツエク?
まつげエクステ?

「いやー、もうテンサゲだよ。つらたん。右鼻ゲロバズって感じ」

テンサゲ
テンションが下がっている
つらたん
辛い
右鼻ゲロバズ
右の鼻の穴から嘔吐物がバズーカのように発射されんとしている

「どしケラトプス?マツエク?」

どしケラトプス?
どうしたのさ?そんなトリケラトプスみたいな顔して
マツエク?
まつげエクステ?

「それがさぁ…。」

説明して理解してもらえるものだろうかと不安がよぎる。

「うんうん。聞かせて。」

いくら親友でも、母親が巨大化したなどと唐突に聞かされて信じるものか。普通に伝えることは困難に思えた。

「うまく説明できなそうだから短歌にして伝えるね。」

短歌でなら伝えられるかもしれない。

「おけぽよさの!」

おけぽよさの
OK。そして短歌といえば与謝野晶子だよね、へへへ

「朝靄に そびえる母の 尻頬が もう帰らぬと なき濡れほたる」

人前で初めて短歌を読んだ。まさか母が巨大化した日に短歌を読むとは思わなかった。

「なる。だいたい分かったよ、さきちゃん大変だったね。」

なる
なるほどザ

まゆは目に涙を浮かべて私の手を握った。末端冷え性のまゆの掌が、とても温かく感じられた。

「ほんと?伝わった?」

「うん。つまり今日の未明、起きたらお母さんが巨大化してそびえ立っていたんだよね?そして大きくなったお母さんのお尻を見ていたら、巨大化する前の日々には戻れないんじゃないかと不安になって、もう戻れぬ日々への哀愁と羨望を、いつか見た『蛍』というメタファーを使って表現している、という理解でいいかな?」

「さすがまゆ!その通りだよ、よく分かったね。」

「ううん。さきちゃんの短歌がエモいからこそだよ。」

エモい
感傷的な、切ない

「ありがとう、まゆ。」

「とは言っても巨大化した人を元に戻す方法は分からないなぁ。力になってあげられなくてごめん。」

「謝らないで。聞いてくれただけでも嬉しいんだから。」

「ねえねえ、雪本先生に相談してみたら?確かあの人、巨人に詳しいって話だよ?」

古文を教える雪本雪夫。私たち2年生の学年主任でもある教師だ。

「げぇ、雪本かぁ。私あの人苦手なんだよねー。」

「お母さんを軽量化したいんでしょ?聞いてみようよ!」

人の親を家電扱いするまゆであったが、なぜだか少し心強くもあった。

第四章 サイドスロー雪本

「ひざくりげ、ひざくりげ ターゲット・ロックオン!」

「失礼しまーす。」

古くなった引き戸がかろうじて開いた。図書室は旧校舎の端にあるせいか、冷気に満ちている。

「お、なんだ?魔堀に山口じゃないか?どうした、はるばる?」

雪本は両手で望遠鏡のかたちを作り、その丸い穴からこちらを覗き込んでいる。冷気は彼のせいかもしれない。

「はい、雪本先生が図書室にいらっしゃると伺ったので。本日はご相談があって参りました。先生、今お忙しいでしょうか?」

まゆは普段JK用語を使いこなしているが、教師たちの前ではしっかりとした言葉遣いで対応する。要領がよく成績も上位を維持していた。

「おぉそうか。今なぁ、『ターゲット・ロックオン』というセリフの枕詞は何がいいか、いろいろ試しながら考えていたんだよ。今のところ『ひざくりげ』が一番しっくりくるかなという結論に至った。」

雪本は筒にした両手の順番を入れ替えてそう答えた。こころなしか少し前傾姿勢になった気もする。『ターゲットロックオン』に枕詞が必要なのかどうかは知らないが、至極どうでもいいことに違いない。

「なるほど、東海道中という趣があって『いとをかし』なのではないでしょうか。」

まゆはまるで人工知能の如く流暢に話を合わせた。

「やっぱりそうか!山口、お前はなかなか分かってるな。『分かる方の山口』だな。ところで相談ってなんだ?高速スライダーを習得したいんだったら俺からは教えられないぞ。」

雪本は両手の望遠鏡をやめて、急に大きく振りかぶり、投球フォームを作った。左投げのサイドスローだった。

「いえ先生、高速スライダーの習得ではなく、巨大化についての相談に参りました。」

まゆが言い終えると同時に、雪本の動きがサイドスローのモーション途中でピタッと止まった。

「なに?山口、今なんと言った?巨大化だと?」

サイドスローでの投球途中停止状態を保ち、視線をこちらへ戻す。

「はい、先生。魔堀さんのお母様が今朝ほど、巨大化してしまったそうなのです。巨大化にお詳しい雪本先生でしたら何か元に戻す方法をご存知かもしれないと思い、ご指導ご鞭撻賜りたくこの地へ参った所存でございます。」

まゆは一層堅い口調でしっかりと伝えた。淑女と呼びたくなる佇まいで。

「あの、雪本先生。B組の魔堀です。急に母が大きくなってしまって、あの…。」

サイドスロー雪本が私のセリフを制する。

「魔堀。いいんだ、それ以上は言わなくてもいい。びっくりしただろう。パニックになって当然のことだからな。そうかそうか、大変だったな。」

予想外の優しい言葉にたじろぐ。

「先生、どうしたらお母さんは元に戻りますか?」

「魔堀…。オイラはこの9年、巨大化について夜な夜な研究を続けてきた。」

サイドスロー雪本がこの日初めて「オイラ」という一人称を用いた。

「主に夜間の研究だったわけですね。」

まゆが絶妙なタイミングで相槌を入れる。サイドスローが静かに頷く。

「そうだ。そして今世界中で、魔堀のお母さんと同じように巨大化する人が現れ始めている雰囲気が漂いつつあることに、先生は薄々気づいていったのだ。」

サイドスローは声のボリュームをやや上げた。

「なるほど。『実感』というわけですね。」

まゆが絶妙なタイミングで相槌を入れる。サイドスローが静かに頷く。

「そうだ。そして魔堀よく聞け。これは……おそらく何かの前触れだ。」

雪本の表情に神妙なオーラが宿る。

「何かの、前触れ…!!?」

私もそれっぽい返しが板につく。

「先生、前触れって…一体なんの?」

まゆのリアクションはもはや達人級だ。

「それは分からない。だがひとつ言えることがある。それはな、『何かとんでもないことが起こる前触れかもしれない』ってことだ。」

サイドスローは自分に言い聞かすように言葉を噛み締めた。語気の強さには「このセリフを言うために9年間の研究があったのだ」というニュアンスが内含されていた。

「何かとんでもないことが起こる前触れ…ですって…?」

私は完全に空気に飲み込まれていた。

「サイドスロー先生…。では魔堀さんのお母さんは既に、これから起こる『何か』に巻き込まれているということですか?」

劇団四季のエースを凌駕する表現力でまゆが『発言』した。

「おそらく…な。」

雪本は投球体勢を保つことに限界が来たのか、サイドスローをやめて普通の直立体勢に居直った。腰への負担もいくらか楽になったことだろう。

「先生。それじゃあ、私は一体どうすれば、どうすればいいのですか!?」

私は身振り手振りを交えて叫んだ。信じられないオーバーリアクションで。

「さきちゃん…。」

まゆは「引き」の演技もマスターしていた。

「魔堀。すまないがそれはオイラにも分からない。だがな、ひとつだけ確かなことがある。」

この日2回目の「オイラ」は、あくまで自然にセリフのなかへ溶け込んでいた。

「ひとつだけ、確かなこと…?」

相手の言ったことをゆっくり繰り返すとそれっぽい雰囲気がでることを、私は静かに悟った。

「巨大化しても、お母さんはお母さん一人しかいないってことだ。」

そう言うと雪本は本棚から一冊の書籍を手に取り私に差し出した。

そこには「NPO法人の作り方ガイド2003」と言うタイトルが書かれていた。

旧校舎の木の香りと古本の匂いが混ざり合い、やわらかなノスタルジーが私たちを包んだ。

第五章 Love & Dragon

「ね!雪本先生に相談してよかったでしょ?よきかな、よきかな。」

よき
いい

まゆは小気味好いステップで渡り廊下を歩いていく。

「…そうだね。まゆ、ありがとう。」

「なに言ってんのさ。私たちBFFじゃん。困ったときはカブステでしょ☆」

BFF
Best Friend Forever(ずっと親友)
カブステ
株主総会におけるステークスホルダー(利害関係者)との関係性を彷彿とさせる間柄→お互い様

まゆはすっかりいつものおどけた女子高生に戻っている。

「ありがとう。」

「悩みがあったらすぐに言って来てね☆黙ってるなんてゾンビプールだよ☆」

ゾンビプール
水臭い

「じゃあ、一度屋上にでも行って、雪本先生との会談で分かったことを整理してみましょうか」

 

雪本発言まとめ

・お母さん巨大化の理由は不明

・今世界中で、同じように巨大化する人が現れ始めている雰囲気が漂いつつある

・巨大化現象は「何かの前触れ」である可能性が高い

・しかも「とんでもないこと」の前触れかもしれない

・巨大化しても、お母さんはお母さん一人しかいない

 

「こんなところかな。ふむふむですな。」

まゆは「ふむふむ」といった面持ちでこれまでのことを整理した。

「うーん。」

私は「うーん」という声を発した。

「雪本に相談したことで、事態が進展したような雰囲気に浸ってたけどさ、もしかして…」

そこまで言いかけたところで、まゆが口に指を当てた。「シッ」という音が見えた。

「さきちゃん。ダメだよ。それ以上は、ダメ。」

まゆはいつになく真剣な眼差しを浮かべる。今度は「キッ」という音が見える。その時だった。

「あれ?さきじゃん。何してんだ、こんなところで?」

なんとタイミングが悪いのだろう。そこには紛れもなく、正真正銘、加藤鳥彦が立っていた。

「な、なんであんたがここに!」

今一番会いたくなかった人物が加藤鳥彦なのだ。私の頭上に大きめの汗しぶき(💦)が飛び出る。

「なんでって、屋上は俺のゾーンだからな。」

「何がゾーンよ、ただのサボりのクセに。邪魔しないでよね、今情報を整理してたんだから!」

「整理?なんの?」

「あー!なんでもない!こっちの話!」

私は慌てて両手を開いて突き出し、左右に振った。残像ができるくらいのスピードで。

「変な奴だな、相変わらず。」

「うるさいわよ!」

プンスカという擬音が頭上で跳ねる。

「ねえねえ、さきちゃん。」

まゆが申し訳なさそうに口を開く。

「あ、まゆ。どうしたの?」

「私はこれにて失礼するね、お邪魔そうだし…。」

「何言ってんのよ!邪魔なのはこいつの方なんだから、行かないでよ!」

言い終わらないうちにまゆはスタコラサッサという音を立ててどこかへ行ってしまった。

するとたちまち、屋上を沈黙が支配した。「シーン」という音が見える。

「あ、あのさっ。この前のことだけど…」

鳥彦は、まゆがいなくなった途端にトーク力が半減した模様だ。

「なによ、まだ喧嘩したいわけ?」

この前のこととは、おそらく1週間前、私と鳥彦が別れた日のことだろう。私たちは2ヶ月の真剣交際の後、破局を迎えたのだ。

「い、いや…謝ろうと思って。俺も悪かったよ。」

鳥彦は鼻と耳を同時に掻きながら言った。緊張を隠すときのクセである。

「何よ今さら。」

私はヘソの下にソウルエネルギーを集めながら答えた。緊張をほぐすためのクセである。

「まさかマジだとは思わなかったんだよ。」

鳥彦は鼻と耳を同時に掻きながら言った。

「竜騎士のこと?マジに決まってるじゃん!知ってるでしょ?私の好きなタイプが『竜騎士みたいな人』だってこと。彼氏には竜騎士っぽく振舞って欲しかったんだもん。」

感情に任せてまくしたてた。

「ああ、悪かったよ。LINEの登録名を『ドラゴンナイト』に変えられるくらいならまだ耐えられたんだけどさ、デートに鎧着るのとか、ちょっとキツくて。」

鳥彦は鼻と耳を同時に掻きながら言った。

「どこの世界に鎧を来ない竜騎士がいるのよ!そういえば誕生日プレゼントだって喜んでくれなかったよね。」

私は言った。

「さすがに、グングニルの槍をもらったときの喜び方が分からなかった。」

「何よ!言い訳をしにきたわけ!?」

「いや、違うんだ。装備するよ、鎧。」

「え?」

「鎧も槍も装備する。気づいたんだ。俺はお前が好きなんだってこと。竜騎士を好きなお前が好きなんだってこと…。」

「鳥彦(ドラゴンナイト)…。」

「法的にどうなのかは分からない。それでも装備するよ。俺はお前を幸せにしたいんだ。」

そう言うと鳥彦は私の頭を胸に抱き寄せた。

「鳥彦(ドラゴンナイト)…。ありがとう。」

「こんなとき、優れた竜騎士ならなんて言うんだ?」

「何も言わずに、キスする…かな…。」

 

誰かが言う。ハトは幸せの象徴だと。

また別の誰かが言う。ハトは空飛ぶネズミだよ。すごく菌とか媒介してて汚いよ。

二度と戻れない日々と、たくさんの忘れもの、そして大切な人への想いを溶かして、命の螺旋は今日も巡る。

「あ、雪…。」

1月の校舎屋上に舞い落ちる白い花びらはひんやりとしたが、私の唇はいつまでも暖かかった。

1年後

あれあらほどなくして、地球は宇宙戦争に巻き込まれた。たくさんの人が捕虜となって別の惑星に連れていかれた。宇宙船にはトイレがなかったのでお漏らしをする人が続出、戦いは混迷を極める。

地球軍は敗色濃厚だったが、降伏宣言の寸前に奇跡的な反撃を遂げて戦局を打破した。侵略を免れ、捕虜は解放されて世界中で祝いの音楽が鳴り響く。

終戦後、子ども達の間では奇妙な都市伝説が囁かれたそうだ。

「地球を救ったのは、超でかい、全裸のおばさんだった。」

大人達はそんなバカなと笑い飛ばした。

何はともあれ私は3年生になった。

「ああ、もうこんな時間だ!遅刻しちゃう。」

遅刻するわけにはいかない。最上級生としての自覚を持ちつつ、しっかり準備を整えて受験に臨みたいのだ。

「あれ…?」

ふと庭に目をやると、あのとき植えたシクラメンが花を咲かせていた。

「ねえ!お母さーん!お花咲いたよー!」

シクラメンの花言葉:遠慮