あの日の落書きを続けよう。

先生、覚えていますか?あのときのマントヒヒの背中の毛を……

拝啓 先生

はじめに、突然お手紙を出したことをお許しください。

何度も思いとどまろうとしたのですが、どうしても、どうしても我慢できずに筆を取った次第です。

先生、覚えていますか?

20年前の3月、卒業式に先生がかけてくれた言葉を。

「小笠原、とうとう卒業だな。3年間よく頑張ったな。これ、少ないけど、マントヒヒの背中の毛だ。先生からの卒業祝いだ・・・・・・イタッ!イタタタッタタタタタタ!痛い!痛い!激痛!!」

そう言い残して倒れてしまった先生。肝心なときに急性胃腸炎になってしまう先生のおっちょこちょいなところが、とっても先生らしくて不謹慎だけど少し笑ってしまいました。

でも先生。あのときのマントヒヒの毛、いまでも大事にとってあるんですよ。一応冷やしておいた方がいいかと思って冷蔵庫のポン酢とか入ってるとこの横に入れてあります。最近ではスマートフォン(先生は使ってないかな?)で写真を管理できるので、撮影したものを保存しておいて辛いときに眺めたりしています。ガハハ。

先生、覚えていますか?

病弱で給食を残しがちだった私に先生がしてくれたこと。

「小笠原!また食べてないけど大丈夫か?これ、去年の教え子が骨折したときに使ってたギプスだ。学校に置きっぱなしになってたんだけど、これとお前が残しそうなそのハンバーグを交換しないか?」

先生はそう言うや否や、すぐに私の食べ残しのハンバーグを頬張りましたね、がむしゃらに。その姿は先生というより少年のようで、なんだか少し笑ってしまいました。

その頃からでしょうか。私は夜になると妖怪たちを引き連れてアーケード街を荒らし回るようになりました。

「シャァ!」

「ギャゴウ!」

そんな声なき声をあげて、わたしたちは闇の中で破壊という名の協奏曲を奏でました。

そうした路上での活動がレコード会社の方の目にとまり、わたしたちはメジャーデビューすることになりました。

ファーストアルバム「アットホーム臓器バイバイ」は延べ4万枚を売り上げるスマッシュヒットになったんですよ。エッヘン。

あ、先生。あのときのギプスももちろん大事に取ってありますよ。宅急便を受け取る際に骨折しているフリをするために活用しています。ガハハ。

先生、覚えていますか?逆に先生が覚えていないことはどんなことですか?

先生。

なぜ急に手紙を出したかについてなのですが・・・。

実は私、余命が僅かなんです。

恐らく、この手紙が先生に届くころ、私はこの世にいません。自分でもこの事実に触れるのは怖くて悲しいことですが、今は運命を受け入れようとしています。

不思議ですね先生。

人間は死を意識すると本音が言えるみたいです。

私、先生が好きでした。

マジボレっていったら言い過ぎだけど、当時よく一人でプリクラを撮って、私の顔の横に先生からもらったマントヒヒの毛を貼って「ウーマンとヒヒ」っていう落書きをしたりしていました。(←ここ笑うところですよ先生)

私は奥手で口下手で下手投げなので直接告白はできなかったけど、下の口は正直みたいです。

私は死んでしまいます。

前向きで内股な先生のことだから「諦めるな!生きるんだ!」って言うでしょうね。

でも先生、もうダメです。

だって先生、この手紙も、ワニの口の中で書いているんです。

今現在ワニは寝ているけど、次起きた時空腹だったら、きっと私は食べられてしまいます。なぜワニの口の中で手紙を書くことになったのかについてはあまり明かしたくはありません。私がバカだった。そうとしか言えません。

先生。

私はあの卒業式から変わらずに、卒業写真のあの笑顔のまま走り抜けてこれたのかな。人混みに流されて変わってしまったかな。

毎朝満員電車で「いま竜巻旋風脚ぶちかましたら何人吹っ飛ばせるのかな」と妄想しながら出勤して、クライアントのニッチでラディカルでメソポタミアなビジネスライセンスソリューションのタスクをクラウドにカイザーナックルして、ローンチするや否やスクリーンセイバーにフィッシンググランドファーザーのフォトをセッティング、夜はベッドでコピーアンドペースト。

そんな毎日を送る私には、もう一度先生に会いに行くなんて勇気はありませんでした。

先生、最後に聞かせてください。

私は、いまでも先生の生徒ですか?

P.S ずっと黙ってたけど私マントヒヒアレルギーなんですよ(笑)まったく、先生らしいんだから!

クロコダイルより、愛を込めて

あの時の小笠原信子